スカートが嫌いだった

小さいころ私はズボンばかり履いていて、姉のピアノの発表会に着ていくワンピースを選ばなくちゃいけないのがすごく嫌でした。(結局ダダをこねてきかなかった)

絵具かばんの色は女の子はみんな赤で、男の子は青で、でも青がよかったから青にした。

なぜか旅行先で見たオオサンショウウオがすごく気に入ってまた見たいとしきりに言っていた記憶もある。

学校に通い始めると女の子と連れ立って女子トイレに行かないといけないのもすごく面倒だった。

 

ことあるごとになんで?どうして?そんなのヘンと聞かれることが多かったように思う、でも理由はよくわからなかった。ただそっちのほうが好きだった。

 

トクサツガガガという漫画を読んで面白いと思ったんですけど、それは自分によく似ていたからなんだとふと思いました。

 

母はふつうはね、という物言いを未だによくしていて、少し前までわたしもそれに倣うべきだと思っていて、でも好きなものを好きと言ってはいけないのは大変にしんどいと最近ちゃんと思えるようになりました。

姉は途中まできちんと則っていたんですけど、しんどかったんだろうなと今になって思います。

 

今はワンピースも好きだし、赤色も嫌いじゃないし、オオサンショウウオはいまでも好きで、あの頃はなにがそんなにと思っていたけど、目の前の人の顔から滲みだす「しなくちゃいけないという閉塞感」が苦手だったのだという答えがでました。

 

昔友達と話していたら「おばけと一緒で得体のしれないものはみんな怖いんだ」と言われたのを思い出します、目の前に迫るそれに名前がなくて相手に伝えられないから逃げられなかったんだな、とふと。

 

今はそれを組み立てて伝えられるようになって、ずいぶんと楽になった気がします。

何を好きでいてもいいし、好きでいる事をやめてもいいし、また好きになってもいいと考えていて、それがとても自由でいい事だと思えます。

 

父にその話をしたらそれが大人になるということだと言われて、そうかもねと思いました。

休日の朝に部屋を掃除していたらかわいらしい小瓶にはいった入浴剤を見つけたので、昼間からお風呂にはいることに決めました

いざお湯を張ってみて使用法を読むとそれは入浴剤ではなくボディーソープで、そのまま使う、もしくは泡立てて泡風呂にもできますとの一文があったものだからじゃあ泡風呂!やったことないし!と意気込んでとにかくとにかく泡立てた

見慣れたお風呂が泡だらけになった様は非日常感が溢れていたし、食器を洗うときくらいしか泡に触ることがないので、端的に申し上げますと楽しかったです
小さい頃は泡を作りたいがためにシャンプーを無駄遣いして怒られたなとかそんなことを思い出しながらぼんやり

こういった小さな楽しみをたくさん用意すれば日々はより充実するのだろうな~という感じ

ここ数年ユリの花を時々買って飾りたくなるけど、似合う部屋じゃないなと思ってやめる

スマホの電池が50%をきっていて、あまり外に出る気にならない
一人でどこか出掛けるときは数分のすきまを埋める何かがなくちゃ嫌だなと思います

日がくれるまでには預金の整理をしたり、パジャマを買ったり細々した用事を片付けていきたいなあ

平日の休みはあんまり遊んでもらえないけど、身の回りの整理が捗って健全な感じがするのでやっぱりたまには欲しいなと思いました

風邪をひきました

風邪をひきました
不摂生と寝不足が効果的だったようです
体調不良で物事がたち行きにくくなるのは少し困りますが熱に浮かされるのは嫌いじゃないです




この土日はバドミントンやフリスビーでめちゃめちゃに体を動かし、カラオケに行き、女子会に参加し、漫画を読み、テレビを見て、人の家でごはんを作ったり寝たり、と盛り沢山でした
数ヵ月前は寝て過ごす休みがあったことを思うと不思議
楽しいことは多少の無理やわがままがあってもしたいし、それを許してほしい




日常関わっていく人が増えたのはいいことだと思うけど、それに付随するイベントや物事に使うエネルギーのバランスが未だにうまくつかめなくて悔しいなと思います





インパクトがあった事を少しでも書き留めて置きたい気分になったはいいものの風邪をひいているし明日は仕事です
深夜はどうしてこうもしなくてもいいことをしたくなってしまうんでしょう