March comes in like a lion, and goes out like a lamb.
三月はライオンのごとく来たりて、 子羊のごとく去る
最近覚えた英語の諺です。
引っ越して来る前には住む家も職場も変われば自分にも変化が起こるのかも、というような気がしていたけど、マイペースな性格は今のところどこにも行きはしなかったのでそんなことはなく日々平和に過ごしています。
ある日はオムライスを作りすぎたり、ある日は豚キムチを作りすぎたり、ある日は一人鍋を作りすぎたりしていて、「野菜などの鮮度が落ちやすい食べ物が単身者向けに小さく分けて安価で売られないことが悪い」と心で唱えながら毎日完食していました。
少し太ったかと思っていたけど間食や朝食が面倒になって摂らない事が多かったので、姉からFacetimeがかかってきた時に「なんか…やつれたんじゃない?」と言われてしまった、自分ではよくわからないままに「やつれた」という形容をされたのは多分寝起きで髪がぼさぼさになっていたからだなあ。
こっちにきて大喜利の人や学生の時の友達と時々会ったりしているけど、見慣れない街並を見慣れた人と並んで歩くのは懐かしさと新鮮味を同時に味わえていい。
来て早々に池袋や新宿といった聞いたことのある街に連れて行ってもらったり、用事が出来たりしていたのでなんとなく頭の中で東京の柔らかいイメージを作る事も出来ました。
新宿にあるtwitterの人がマスターをしているというスナック(?)に以前から興味を持っていて、足を運んでみると見事に同じようにtwitterでマスターを知って来た人たちばかりだったので驚きました。
そのうちの1人から「あなたのこと写真で見たことがある、私の友達の家に来たことあるでしょ」と言われて世間の狭さにまた驚いたけど、同じ人を見て同じように関心を持った人たちの集まりなのだからみんな来るべくして来ているのだな、とも思いました。
twitterの人はマスターとしてスナックに立たなくなることを後で知ったけど、twitterの印象と同じように話が面白く、物腰の柔らかい人で少しだけでも話す事が出来て良かった。
3年もどんな人かも分からず面白いなあと思っていた人が本当に面白くていい人だという確信になったので、これは本当に嬉しかったのです。
居合わせた人たちで空気がほぐれた頃に、京都から旅行で来ていた大学生の男の子がお酒を飲みながらミュシャ展に行った話をしてくれて、気になる程度だったミュシャ展への関心が行きたいに変わりました。
「僕、売り切れちゃった草間彌生展がセットになったチケットを買ったんです」といつの間にか硬かった表情を崩してニコニコしながら教えてくれたので、草間彌生はそんなに好きではないけど、なんだか少し羨ましく感じつつ、「うんうん」と耳を傾けていました。
後日東京に来ていた人とご飯を食べ、ミュシャ展を話題に出したところ一緒に行くことになり、切り出してみるものだなあと思いました。
芸術関係のイベントは人を選ぶ上、楽しみ方が同じスタンスでないとどちらかが疲れてしまう…と気にしてしまうのであまり連れ立って足を運べなかったのですが、観終わった後に感想を述べ合うのは楽しかったです。
今回展示の目玉となったスラブ叙事詩は晩年に16年がかりで平和を願って描かれたものなのに発表当時すでに独立を勝ち取ったチェコでは時代にそぐわずあまり受け入れられなかった、という事を見回る中で知って少しミュシャを不憫に思いました。
芸術家が没後に評価されることはままあることだと思うけど、スラブ民族として過ごした当時の同胞に喜んでもらえるのをミュシャは1番に願っていたんじゃないかなあという気がします。
あと、スラブ叙事詩の中の一枚にはミュシャ自身がモデルになった青年が描かれていて、数年越しに初めて自画像を見たけど、「そんなに綺麗な顔をしていたのですか…」と少し驚きました。
姿形が美しいことと美術の才能があることは別種の価値だけど、ミュシャの存在が今の世に残ることには相乗効果となって影響したのでは、と純粋にそんな感想がでるほど柔らかくて端正な顔立ちをしていました。
天は二物を与えずとは言うけど、本人が欲しがれば三物も四物も天から大盤振る舞いを受けている人というのは居て、そんな人たちにはもっと欲張ってほしいなあと時々思います。
こっちに来た当初は新しい布団になれなかったり、色々と心配になって眠れない夜が続いたけど今は何のことはなくすぐ眠りに落ちてしまうので慣れとは恐ろしいなと思います。
あっという間に三月ももう終わりますが、子羊が走るよりは早く季節が隣を駆け抜けていく気がします。ちょうど子鹿ぐらいじゃないかなあ。
ブログの更新を月一ペースにしようかと密かに目論んでいたけど、一度に書き切るにはとても足りないなあと思いました。
好きなものの話をすると随分長くなってしまう。
ルールはあんまり作らなくてもいいのかもしれない。