将棋の話
少し前から将棋にはまりはじめました。
職場の人にすすめられて興味をもったんですけど調べれば調べるほど奥が深く、そりゃ何百年と続くわ…という感想です。
簡単に言うと将棋は1対1で一人20枚の駒を使って相手の王を倒せば勝ち、というルールなのですが、私はこれを単純なゲームではなく「究極の対話」だと思っています。
基本的には言葉を使って相手とやりとりをするわけではありませんが、相手の雰囲気、目の動き、駒の並べ方、目の前に座る相手のすべての情報から力量を推し量り対局をすすめます。
駒の並べ方はめちゃくちゃ性格が出ます、攻めるために強く派手な駒を荒々しく使う人もいれば、歩という下っ端を細かく並べ囲い込む人、金や銀を王の周りにおいてガチガチに守りに入る人(穴熊といって私はこれになりがち)。
一手一手の相手の出方を見て「そうきたか」と自分の次の一手を考えます。
と、偉そうに書いてみたものの私はアプリでやるばかりでまともに人と将棋をしたことがありません。
というのは肝心の私の目的である対話したい相手があまり将棋をしたがらないのと、将棋はどんなに短くても15分はかかる、また将棋盤と駒を常に持ち歩いていないと将棋ができません。
さらに私は人に勝ちたい!という気持ちが何事においてもほとんどないので、「いざ勝負!」と向かってこられると完全に気迫負けします。
体は大きくても気が小さい。
でもせっかく面白いと思えているのでもう少しきちんと定跡を覚えたら「話をしよう」というスタンスで指せる人と将棋をしてみたいと思います。
昨日「3月のライオン」という漫画を読んだのですが、「将棋における人との対話」に焦点を当てた面白い漫画でした。
興味を持たれましたらぜひご一読いただきたい、貸し出したいくらい。(今日買った)
スカートが嫌いだった
小さいころ私はズボンばかり履いていて、姉のピアノの発表会に着ていくワンピースを選ばなくちゃいけないのがすごく嫌でした。(結局ダダをこねてきかなかった)
絵具かばんの色は女の子はみんな赤で、男の子は青で、でも青がよかったから青にした。
なぜか旅行先で見たオオサンショウウオがすごく気に入ってまた見たいとしきりに言っていた記憶もある。
学校に通い始めると女の子と連れ立って女子トイレに行かないといけないのもすごく面倒だった。
ことあるごとになんで?どうして?そんなのヘンと聞かれることが多かったように思う、でも理由はよくわからなかった。ただそっちのほうが好きだった。
トクサツガガガという漫画を読んで面白いと思ったんですけど、それは自分によく似ていたからなんだとふと思いました。
母はふつうはね、という物言いを未だによくしていて、少し前までわたしもそれに倣うべきだと思っていて、でも好きなものを好きと言ってはいけないのは大変にしんどいと最近ちゃんと思えるようになりました。
姉は途中まできちんと則っていたんですけど、しんどかったんだろうなと今になって思います。
今はワンピースも好きだし、赤色も嫌いじゃないし、オオサンショウウオはいまでも好きで、あの頃はなにがそんなにと思っていたけど、目の前の人の顔から滲みだす「しなくちゃいけないという閉塞感」が苦手だったのだという答えがでました。
昔友達と話していたら「おばけと一緒で得体のしれないものはみんな怖いんだ」と言われたのを思い出します、目の前に迫るそれに名前がなくて相手に伝えられないから逃げられなかったんだな、とふと。
今はそれを組み立てて伝えられるようになって、ずいぶんと楽になった気がします。
何を好きでいてもいいし、好きでいる事をやめてもいいし、また好きになってもいいと考えていて、それがとても自由でいい事だと思えます。
父にその話をしたらそれが大人になるということだと言われて、そうかもねと思いました。